機能的財政論とMMTとの比較:ケルトン教授のTweetログ

7月にMMTに関する講演のために来日されたステファニー・ケルトン教授が、日本時間の今朝、Twitterで一連のツイートをされていましたので、その内容をご紹介します。

ラーナーが提唱した機能的財政論とMMTの比較に関する内容です。

以下、ケルトン教授のツイートを引用します。 

我々は、機能的財政論(Functional Finance)について話すべきだろう。
アバ・ラーナーが1940年代に、そのアプローチについて提唱した。
彼は、アルヴィン・ハンセンのような人々によって詳説された、より弱気な呼び水政策的アプローチの代替として、明確に提案した。
これが、その独創的な論文である。

https://www.gc.cuny.edu/CUNY_GC/media/LISCenter/pkrugman/lerner-function-finance.pdf

 

MMTと機能的財政論はイコールではないが、我々はいくつかの基本的な見識を取り込んだ。
私は、このトークにおいて、機能的財政論との重複や拡大について説明している。


NSSR Economics Seminar Series: Anti-austerity: Lerner's Functional Finance at 75

 

私は、ラリー・サマーズのような、機能的財政論に熱心でありながら、MMTは「お金を刷る」ことを推奨する(等といった)意見に基づいて、MMTに留保の態度を取り続ける人びとを見かける。
では、ラーナーの機能的財政論とは一体何なのか、見てみましょう。

 

MMTのように、ラーナーは、もしお金が「国家の生き物」であったならば、政府は政策余地を広げただろうと理解する。
MMTの話法においては、我々はそれを「通貨発行」と呼ぶ。
ラーナーが述べているのは、こちら:
https://modernmoneynetwork.org/sites/default/files/biblio/money_as_creature_of_state.pdf

 

この背景に反して、ラーナーが言うのは、政府が財政政策を実行すべきであると彼がいかに信じているか。
彼は、「健全な財政」という主義を拒絶する。健全な財政とは、従来のように、予算上の目標自体が政策の目標となるべきであるという考え方。
彼は、予算上ではなく、現実の結果に基づいて、全てを判断しようとした。

 

彼は、2つの指針、言い換えると「機能性財政論の原則」を設定した。
その1つ目は、政府は、完全雇用経済を維持するために、第一の責任を追うべきであるということ。
税金や政府支出を調整することにより、リアルタイムに、いかなる合計需要の不足も埋め戻すように。

 

彼は、これにより必要となる財政赤字が、予算均衡か、または財政過剰かについては、あまり気にしていないようだ。
もし予算の結果が経済の均衡をもたらすのなら、すなわち完全雇用かつ物価が安定していれば、それらのいずれも正当化される。
だから、下の絵のような予算が、その役割を果たしていると言える!

 

これが、ラーナーが述べた内容。
彼は、まるで初期のジェームズ・カーヴィルのよう。
「それが(実体)経済だよ、バカ者!」

 

これが、まさにMMTと機能的財政論が一致する部分です。
税金とは引き算のためのものであって、「歳入の引き上げ」や「紙幣を支払う」ためのものではない。
ラーナーは、連邦の予算決定プロセスに対して「非常に」異なるやり方でアプローチしただろう。
ペイゴーはノーゴーであったかのように。

 

ラーナーは、課税の目的を、支出力の除去として、言い換えれば、インフレ圧力の軽減として、とらえていた。
もし、政府自身の支出が、他方でインフレをより高く押し上げるリスクであるならば、その時は(そうなってから)埋め合わせをする、連邦議会が「ペイフォーズ」と呼ぶものが必要となる。

 

余談:MMTは、税金はその他の理由により重要であると認識する。
そのうちの1つは不均衡である。
我々は、かつてニューヨーク連邦準備銀行の議長であったビアーズリー・ラムルのこの文献を、何十年も引用してきた。
http://bilbo.economicoutlook.net/blog/wp-content/uploads/2010/04/taxes-for-revenue-are-obsolete.pdf

 

ラーナーの話題に戻ります。
彼の機能的財政論の第2の原則は、彼が政府に実行させたい第1の原則(完全雇用の状態で経済を維持するために必要なレベルに支出を調整すること)の方法を明確に述べた。
しかし、これは何でしょう?
ラーナーは、OMFerだったのです。

 

OMF(明示的な貨幣供給)、すなわち彼は単純に政府に(赤字)支出をさせたい、そしてシステム内のいかなる準備金バランスの結果も放っておきたい、債権を売ることによってそれらを放出するよりは、ということを意味する。
MMTのように、ラーナーは、債権を売ることは、「ファイナンス」ではなく、利子率を維持するためのツールとして見ていた。

 

ですから、ここで、2つの本当に重要な観察がラーナーによってなされ、それがMMTに取り込まれた。
(1)税金は引き算である。税金は(連邦政府の)支出をファイナンスするのではない。
(2)債権を売ることは「借りる」ということではない。債権はプラスの利子率をサポートするために用いられる。

 

ラリー(やその他の方々)は、MMTは、「お金を刷ること」であるとか、ハイパーインフレーションの懸念があるとか、誤って議論してきた。
https://www.washingtonpost.com/opinions/the-lefts-embrace-of-modern-monetary-theory-is-a-recipe-for-disaster/2019/03/04/6ad88eec-3ea4-11e9-9361-301ffb5bd5e6_story.html

 

ラーナーは、この反応を予見していた。
機能的財政論は、支出についての話であって、債権を売るか売らないかという話ではない。

 

これについては、スコット・フルワイラー(@stf18)や私も書いたことがある。

 

そして1点だけ、ラリーが同意していると思われるポイントがある。
「私の視点は、通貨によりファイナンスされた財政政策は、債権によってファイナンスされた財政政策+公開市場における操作(買いオペ)の組み合わせと同じことである。それは全く同じものである。」


Larry Summers: Money-financed vs. bond-financed fiscal deficits

 

ですから、MMTと機能的財政論がどう似ているか(どう違うか)?
第一に、我々は、完全雇用を維持するために、政府支出と税収のリアルタイムな調整に頼るのは不十分であると考える。
その方法で、非自発的な失業者がゼロになることは決してないでしょう。
だから、雇用保障を導入する。

 

雇用保障は、完全雇用における政治および経済の両方の問題への、MMTによる解決法です。
なぜなら、それは自動安定化装置であるため、連邦議会がリアルタイムにレバーを引くのに頼らなくても良いからです。
完全雇用は、ビジネスサイクルを通して維持されます。

 

財政の応答は、景気後退期にはより大きな赤字、そして景気上昇時にはより小さな赤字というように、自動的に起こります。

 

第二に、我々は、政府の財政がどのように現行の体制下で機能しているかを示すことにより、金融操作を通して人びとを導く、数え切れないほどの論文や本を出版してきました。
債権を売ることは問題ありません(それがもたらす個人的/政治的な不安は別にして)。
OMFにまで踏み込む必要はありません。

 

債務の持続可能性について、MMTは、ブランチャードやサマーズらよりも先に進んでいます。
スコット・フルワイラー(@stf18)は、このことについて、数々の論文を発表しています。
これは、そのうちの2つです:
https://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=1722986
http://wer.worldeconomicsassociation.org/files/WEA-WER-7-Fullwiler.pdf

 

ジェームズ・ケネス・ガルブレイスは、同様にMMT側にやって来ます。
これが決定的な論文です。
http://www.levyinstitute.org/pubs/pn_11_02.pdf
要するに、これが、持続性における、MMTと主流派の分かれ道です。
彼らは利子率を、市場が決定するものと見ます。
我々は利子率を、政治経済学上の問題と見ます。
(結論:それが利子率だよ、バカ者。)

 

以上です。

一連のツイートから、ケルトン教授は、まず第1に、JGPを重視しているということがわかります。

インフレ率の調整と完全雇用の維持を達成するためのビルトインスタビライザーをしてのJGP役割に期待しているように感じます。

また政府支出をOMFだけで賄うことはできる、つまり国債発行せずに貨幣供給で賄うことは可能だが、国債発行は利子率を調整する目的にも利用できるので、政府支出は国債発行で良いと考えているようです。